感情の「名残り」「かけら」
どうやら、私たちは、何度も生まれ変わりながらその度にいろんなことを忘れて、その人生で存在しているようです。
「忘れている」というのは、いきさつとか人間関係とかのストーリー部分。
小さい頃のことって、ちょっとしたシーンとか言葉とかフレーズとか感触とか、もし覚えていても断片だったりしますよね。
きっと、過去から持ってきたものって、それよりももっと断片だったり、エキス?だったり。
一例をほどいてみると、下の絵みたいな感じ?
「この原因はなんだ!」「ブロックのもとはなんだ!」と探しても、どんどん薄まったり断片化している感情のカケラは、意識では見つけにくい。
じょうずに忘れたり、しまいこんでフタをしたりしているから。
なので、ビジュアル化しようとしたり、お話を作ってつじつまを合わせようとすると、妙に想像力があったりすると、都合よく作ってそれを信じてしまったりします。
どうやら、勝手に薄まり続けて消滅したりはしないみたいですね・・・。
人間は過去や未来のことを考えることができる。
だからこそ、いろんな発展も可能になるし、過去の様々なできごとから抜け出せない人もいる。
私たちが生きていくうえで、すべてを表の意識で感じ続けなくてもいい(忘れる)ようになっているのかもしれません。
過去世(もしくはいつかの人生)での感情のカケラは私たちの中にたーくさんありそうですね。
この記事のこの写真、フリー画像から選んだんですが、ここで何かあったのか、こんな風景のところで何かあったのか・・・・
さて、誰と??
いままでとちょっぴり違う過去世セッションモニター、準備中です。
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