感情の黒雲(ダークサイド)に、頭からつっこんでいく

ある趣味で時間もお金もピーク時だったころ、友人たちと登場人物の想いを妄想したりしていて、それを文章にするのにハマっていました。
基本的に凝り性なもので・・・
また、読んで喜んでくれるとなると、燃えますよね(^^;)。

書き上がったもの、じつは、いまも公開中なのです。
今回読み返してみたら、暗い暗い暗い!ほんま暗い!
いま、あれ書けと言われても書けない!

書いた時のようす、覚えていますが、こんなかんじ。
心底破壊的な気持ちをわきたたせて、その人物を破滅的に妄想して、なりきって。
仕事帰りの阪急電車、終電の中でキーワードをがーーーーっと、ノートに書きなぐっていました。
まさに、頭から黒い煙を出す勢い。怖かったかな、まわりの人(汗)。

同時期に書いていた友人は、お仕事中に職場のパソコンで妄想していたらしいのですが(笑)、同僚から「なんかすごい雰囲気になってます・・・」と、おののかれたらしいです。

妄想力と文章表現を鍛え上げた、あのころでした。
それまで、明らかに!絵を描いたりモノを作ったりするほうだったのですが、「妄想画力」はなく、文章でないと表現できなかったのです。アハハ…(^^;)。
あの趣味のおかげで、ブログ書くのにどれだけ役立っていることか!!

いまだったら、書けない

前回の記事『自分を蝕む不安を自分で増殖させるというふしぎな傾向」は、誰にでもある?』でも書いたように、暗い妄想は、そんな感情にどっぷり浸らないと、ノリに乗って書けないだろうなぁ、と思います。
環境からの影響ってスゴイですね。自分で黒雲(ダークサイド)に頭からつっこんでいくことができるんですから・・・。

私もオトナになったのか、いつのまにかそんな感情をどこかにしまい込んだのか、それともずいぶん解放され、重要でなくなったのか。
きっと、全部がそれぞれの割合でブレンドされたものが、いまの私のありようなんでしょう。

くらーい妄想が書けない・書かないことを味気なくなった、耽美にどっぷり浸りきれなくなっていることを「味気なくなった」とは、感じていません。
基本的な私は、なにも変わっていないのだし。
本が速く読めるようになったからといって、小説を楽しめなくなったわけでもないし、心理学やコーチング、感情解放メソッドを学んで、心のしくみを少し知ったからといって、人生が淡泊になったわけでもない。

私たちは日々、小さいものから大きいものまで、さまざまな選択をしている。きょうは何を着よう。何を食べよう。電車でどの席に座ろうか、誰と会おうか、話題はなに?

そして、きょうの私のように、ふと、「あ、前の自分とは違う感じ方をしているな」と気付くことでわかることかも。
また、私の行動や話すことの変化を、まわりが先に気がついていることもあるでしょう。

ひとつひとつの小さな選択が、自分も変えていく、まわりにも影響する。

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