会いたい、あわねばならないと思う反面、思い出したくない、会いたくない、見たくない。
次のセッションのために、自分のブログ記事を読み返しています。
こういうこと、2010年の8月に書いていました。
「催眠中に、会いたいものに会えずにさまよってしまう方は、やはりその物に執着心が強いのかなあと感じました。
行っても行っても相手が逃げていってしまうのです。
もしくは、何かを成し遂げるのはタイヘンなんだと無意識に植え付けているのかも?」
これはこれで、「あり」だと思います。
会いたい、知りたいという気持ちはある。
会うこと、知ることで「解放される」「いやすことができる」と、講座でお伝えしてもいましたし、そりゃあ期待するってもんです。
ちょうど読んでいた「夏への扉」にも、こんなフレーズが。
30年もの冷凍保存(ロング・スリープ)を受けた主人公が、担当医に尋ねます。
「先生、ロング・スリープは記憶喪失を起こすことがありますか?」
彼はちょっと口ごもった。「おそらくあるでしょうね、そういうケースに出会ったことはありませんが。つまりほかの原因によるものは別として」
「記憶喪失を起こす原因はなんですか?」
「それはたくさんありますよ。もっとも一般的なのは、クライアント自身の潜在意識の願望でしょうね。クライアントは一連の出来事を忘れる、あるいは整理し直す。なぜかというと事実が耐えられないからです。これが正真正銘の心因性の記憶喪失。それから頭を打つという古典的なやつがある。(後略)」「夏への扉」新訳版
「クライアントは一連の出来事を忘れる、あるいは整理し直す。なぜかというと事実が耐えられないから」
そういうことを、いまの人生、あるいは過去の人生、あるいはもっと他の理由で、心の深い部分が抱えていたとしたら。
「思い出してみたい」という気持ちは、「絶対に思い出したくない!」という強い感情のまえでは、どうやら多勢に無勢のようです。
では、会いたくない、見たくない気持ちがあっても、「解放される」「いやすことができる」方法とは?
ロバート・A・ハインライン