本:子どもの頃の思い出は本物か: 記憶に裏切られるとき
私たちの記憶の中には「実際のものではないもの」が、相当含まれていることがわかってきているそうです。
よく似た状況を混ぜ合わせたり、親から聞かされていたストーリーを思い出として構築していたり。
美しく飾られたり、忘れたかったり、尾ひれがくっついたり、混ざったり・・・。
私たちの記憶は、ビデオテープではない。
そして、最初の記憶がもともと正しくても、時間の経過とともに、どんどん不正確になっていく。
だとすると、私たちはいったい何者なのだろう?
過去の(不正確な)記憶をもとに、後悔したり、反省したり、悩んだりするのは、きっと人間だけですよねぇ。
「自伝的記憶」
自分自身に関する事柄についての記憶である。 ある個人のなかにある自分に関する記憶を体系的に説明する一つの記憶モデルであり、エピソード記憶と意味記憶によって構成される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/記憶
じゃあ、催眠で「思い出す」ことって本当にあったことなの?
・・・という疑問も湧いてきます。
映画「トランス」でも、記憶の操作が行われてしましたしね。
遠くない過去の記憶においても、私たちの記憶が、移ろいやすく変化しやすいことが科学的に実証されてきています。
もちろん、催眠で思い出した(体験した)ことには、「科学的根拠」は、ありません。
じゃあ、うそなのか?
つくられたイメージもあれば、本当の過去世の断片も含まれている、いろんなことを体験したし、受講生さんのようすからいろいろ感じてきました。
普段の生活の中でも、なにかのきっかけで、断片的に思い出している(思い出したような気がする)ことは、あると思っています。
頭ではハッキリわからなくても、なんだか心がざわざわしたり、体が反応したり。
特定の状況や場所で、特定の相手の前で。
感情だけが、瞬間にわっと出てくるときって、ありませんか?
その感情を「できごとを暴くことなく、替わりのものに置き換えたり、植え付けたりすることなく、負の感情だけを手放す」のが、もしもしタッピングのよいところ!
偽りの記憶をつくらないという点では、けっこうユニークな方法ではないでしょうか?
「過去の記事」
「飲み物を必ず少し残しているのは、底になにかあるから・・・」