最後は、気持。最後まで、気持。

日本サッカー代表、韓国戦に勝ちました〜!
嬉しいなあ。

「最後は気持ちの強いものが勝つ」ということで、その言葉を何度も実況の中で聞きました。
たしかに、実力の拮抗するなかでは、『思いの強い方』が勝利すると思います。
その思いを各人が共有することで、みんなのチカラにもなっていく。
ああ、すばらしい〜。

でも、私だけかな?「最後は、気持」言葉だけ聞くと一抹の不安が…(汗)。

「最後になってやっと気持が入る」とか、
「最後にならないと気持が入らない」とかに、
なってしまったりすることはないのだろうか…

私たちは「言葉通りに受け取る」ことがあります。
もともと、子どもさんなどはそうです。動物も。

小さい子は「お名前教えてくれるかな?」と言われたら、まず「うん」と答えます。その子は問いかけに対して、そのまま答えたんです。
何度も聞かれると、学習により、ここは「教えてもいいかどうか」を答えるのではなく、名前を聞かれているんだな、と意味を変換して「◎山◎子です」と答えるようになります。

成長しても、言葉通りに残っていることが、なにかのじゃまになることもあります。

たとえば、EFTセッションでの、こんな実例があります。

「いつも、初めてやることはうまくいかない」と悔しい思いを持っていた女子。
常におじいちゃんから「はじめからうまくできるもんじゃないよ」と、いわれて育ったことを思い出しました。

「がんばろうと思うんだけど…」と、勢いに乗れない女子。
お父さんが「次、がんばればいいよ」と言っていたことを思い出しました。

その時には役にたっていたアドバイスや励ましが、いまの自分をじゃましているかもしれません。
足をひっぱっているのが、小さいころに周りの大人が言ったことがずーっと残っていて、自分が持ち続けたのは違う意味だったと気づいたその瞬間、その言葉のチカラはもう無くなります。

変化を決心した人の、自分で自分を縛っていた足かせがなくなるとき、びっくりするくらい大きく前進していく姿をいくつもみてきました(^^)!

そんなわけで、私は「最初から最後まで、気持」を提唱したいと思います。
言葉って、ほんとうにだいじ。

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