「自分を蝕む不安を自分で増殖させるというふしぎな傾向」
ひさしぶりに小説を読んでます「春の雪」。
じつは初!三島由紀夫です。
清顕のわがままな心は、同時に、自分を蝕む不安を自分で増殖させるというふしぎな傾向を持っていた。これがもし恋心であって、とれほどの粘りと持続があったら、どんなに若者らしかったろう。
彼の場合はそうではなかった。美しい花よりも、むしろ棘だらけの暗い花の種子のほうへ、彼が好んでとびつくのを知っていて、聡子はその種子を蒔いたのかもしれない。
清顕はもはや、その種子に水をやり、芽生えさせ、ついには自分の内部いっぱいにそれが繁茂するのを待つほかに、すべての関心を失ってしまった。わき目もふらずに、不安を育てた。
彼には「興味」が与えられたのである。その後ずっと、好んで不機嫌の虜になり、こんな未決定と謎を与えた聡子に腹を立て、その場で喰い下って謎を解とうとしなかった自分の不決断にも腹を立てていた。
(39ページ)春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)
三島由紀夫
自分を蝕む不安を自分で増殖させるというふしぎな傾向があって、わき目もふらずに、不安を育てた。
たとえて言うなら、下の図のようなかんじ。
「火に油を注いでいるのか、注いでいるから燃え続けるのか?」
火を燃やし続けるためには、油を仕入れてこなくてはなりません。
また、進んで、火を燃やす状況を手に入れる必要があります。
「えっ、うそ!!そんなこと私してないし、ちっともしたくないもん!」
表の意識では「そうしよう」と思っていなくても、
心の奥でクセになっていると、なかなか、自分というものが何を欲し、望み、行動しているのかがわからなくなっている。
だれでも、少しはそんな部分を持っているようです。
自分のことでなくても、主人公たちが破滅的な道をたどり堕ちてゆく小説や映画で「いいわぁ〜」と思ったり、ホラーやスプラッタ映画を好んでみたり、酷いニュース、悲惨なニュースを見て、怒ったり悲しんだりせずにはいられなかったり。
そういうことは、なんとなく心当たりがあったりしませんか?
「は、はあ・・・ちょっぴり。」
いいかんじです(^o^)!
ムリヤリ、悪い面をみてください、と言ってるんじゃありません。
掘り起こせというのでもないし、過去世で確認しよう!というのでもありません。
「自分にもそんな一面、あったりするかも・・・。」
それで充分です。
「冷蔵庫にマヨネーズあったかな?うん、たぶんあるわ」そんなノリで。
なんなんだろう、それっていつどこでどうしてどうやって!
と、探りたいのもわかりますが、追求と解明に、時間や労力をつかわなくてもいいんです。
ーー私も見たいみたい病だったんですよ、これでも(^^;)。
だって、、、こういうことも、あるから。
ただ、自分では持て余し、自分を傷つけ続けるような、怒りやイライラや悲しみを、過剰に持ち続けていなくてもいいんじゃないか。
これらのものを、知らず持ったままの状態で、たとえば「幸せになりたい」と望んでいたとしたら、やっぱり堂々巡りしてしまいがちになりそうです。
根っこから、一つ二つ、もしかしたらもっとたくさん、手放して軽くなってみませんか(^o^)?
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